外交官財テク事件(+投資詐欺?事件)

外交官財テク事件

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外務省理事官であった和田英之氏は、スイスジュネーブ代表部赴任直後の1985年、営利性の強い投資ファンド「ファンドHW」を開設。毎月1万から4万円の手数料をとってスイス市場に上場している日本企業の外債や米国のワラント債を購入して運用。元金保証で利益率に応じて会員は14%から17%の報酬を和田氏に支払う条件であった。

伊達EC代表部大使、太田大臣官房審議官が和田氏に資金を預ける。
和田氏は外務省職員らにも「伊達大使や太田大使も加入している。確実にもうかる」と勧誘、ある職員は1987年7月までに総額約3千万円を投資。

特に1987年5月には「2、3ケ月で倍になる」と持ちかけられ、日本の実家から送金してもらい1200万円を同ファンドに預けた。

ところが同職員はこの間一度も配当金を受けておらず、(和田氏が外務省退職後の)1987年9月に和田氏から「分割で返す」と言われたまま連絡が取れなくなった

和田氏は「個人的理由」で1987年3月に外務省を退職(当時30歳)

1987年9月、和田氏はファンドHWの会員に対し「契約は解消。10月末までに元金全額を返還し残りの預り金は同年末までに返す」という手紙を会員に郵送。

1987年10月、「ブラックマンデー暴落の影響を受けたので、ファンドHWの清算を延期したい」と会員に伝えたまま、和田氏は行方をくらます

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1988年10月、和田氏は毎日新聞の取材に応じ、「ファンドHWには5人のほか15人の民間人も参加して、運用資金は3億円にのぼっていた」「1987年10月の大暴落前、手持ち現金の5倍にあたる2億円もワラント債を買い、これが暴落で評価が4分の1になってしまった。売るにも売れず、ファンドを閉鎖した時の口座は、マイナス3,000万円になっていた。暴落時の対応をミスしたわけで、道義的責任は感じている」と説明。
一方、「みんなやっていること。公務員の品位が問題とすれば、私より(大使ら)高官の責任の方がはるかに重い」「外交官が生活費を安く切り上げようと、法律で禁じられている闇レートでの換金をしている」。伊達大使ら5人から預託金の返還を求められ訴訟に発展している問題については「3500万円の赤字が出ており、スイスの銀行から私の預金口座のマイナス分の3500万円の請求を受けたら、この分は伊達大使らに逆に負担してもらう」と開き直り。


和田アセットマネジメント株式会社事件


和田氏は伊達大使らファンドHW会員に民間投資会社「和田アセットマネジメント株式会社」を1987年3月に東京で設立すると説明し出資を求めた。
伊達大使や太田審議官、他の出資者を含め総額約1000万円を同社の株式取得名目で出資させ、和田氏のスイス個人銀行口座等に払い込ませた。

しかしその後、和田氏は「一部役員候補の同意を得られなかった」ことを理由に会社登記をせず、出資金も返還しなかった 


ジャーマン・スイス社事件



1987年3月、和田氏が投資顧問会社「ジャーマン・スイス社」をスイスで設立。和田氏が会長。

岡山の社長ら3人は和田氏から「ワラント債の運用では私が日本で一番。投資金の10倍になった人もいる」と、スイス証券市場での投資を勧誘される。
3人は商取引を装って総額1億2千万円をロンドンの銀行に開設したペーパー会社名義の口座に預け、スイスの個人銀行に送金、日本企業の外国債を購入するなどトンネル投資を実施。

しかし、和田氏は運用通知を出さず、社長らは運用実態がつかめなくなり、同社に解約を申し出たが、約1億円が未回収。 
和田氏は「自分の不在中、開かれたジャーマン・スイス社の取締役会で会社が銀行に統合されることが決議されて経営権が移り内部混乱している」と通知。

その後、上記毎日新聞の取材で「岡山の社長ら3人については私が全部紹介した、現地弁護士が口座を動かしていた。あとで岡山から口座を閉めて欲しいと言われ、相談を受けたことがある。社長らのスイス投資の目的は税逃れもあるでしょう。財テクより税テクが狙い」と自身には非がないかのような発言。


グローバル・プランナー社、ワールド・ファイン・ギャラリー社事件

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1987年末、和田氏は大阪市に投資情報サービス会社「グローバル・プランナー社」とその中継ぎ会社を設立。経済評論家、税理士、公認会計士の3人に対し「スイスで培ってきたノウハウを生かして、グローバルな投資顧問をやりたい」と持ちかけ、グローバル社他1社への出資と役員就任を依頼。3人はグローバル社へ200万円ずつ出資、中継ぎ会社には150万円ずつ出資し、3人とも2社の取締役・監査役に就任した。
和田氏は個人的に調達した資金でディズニーセル画約850点(総額約6千万円)を購入。役員らの承諾を得ずにグローバル社にセル画を貸し付けた形にしていた。

1988年3月頃、和田氏は面識のあった自民党深谷元衆院議員の私設秘書2人に、「セル画を売るための会社を作りたい。東京には知人がいないから、役員になってくれ」と依頼、2人が取締役就任を引き受けたため、1988年4月にワールド・ファイン・ギャラリー社を設立。

和田氏はグローバル・プランナー社・中継ぎ会社から仕入れたセル画を「1年後に倍の金額で買い戻す」という特約をつけて投資家に販売。秘書2人も個人的に購入していた。

ところが1988年8月頃から和田氏と連絡が取れなくなり、セル画の買戻しが不可能な状況となった。グローバル社の役員や私設秘書らは和田氏に代わって投資家に弁償する羽目に。また2人の秘書は深谷議員により引責辞任させられた。